置賜地方旅行記 その2
赤湯温泉 丹波館
我々一行が赤湯駅に着いたとき、すでに日は暮れかけていた。
駅を出るとコンビニはおろか、気軽に立ち寄れそうな食事処もないようだった。
ロータリーにある観光案内図によれば、温泉街まで2,3キロはある。
この日の日中は、厳しい日差しの下、米沢市内をレンタルサイクルで観光したため、皆疲れ切っていた。
そんな体調で歩かねばならないのは実に憂鬱であった。
赤湯といえばそれなりに知られた温泉街だが、最近では赤湯ラーメンなども全国的に有名になり、観光地としても栄えているようである。
道路にはひっきりなしに車が走っていて、とてもじゃないが落ち着いた気分になれなかった。
我々が温泉街に到着したとき、すでに日は落ちきっていた。
道路沿いに無料の足湯があったので、まずはそこで足を休め、どの温泉に入るか協議した。
選んだのは丹波館という日帰り入浴も可能な旅館である。
大正ロマンを感じさせる作りで、一目で気に入った。
靴を脱ぎ、一歩館内に足を踏み入れると、柔らかい絨毯の感触が疲れ切った我々を優しく出迎えてくれた。
館内の灯りは柔らかく、どこか懐かしい印象があった。
脱衣場はとても清潔であった。これなら、風呂場もきっと、手入れがきちんと行き届いているだろう。
いざ、湯への扉を開くと、硫黄の匂いが鼻を突いた。
しかしその匂いは、決して硫黄自身を主張せず、ただ湯の存在を予感させる程度にとどまっていた。
白い蒸気がすぅーっと晴れて、立派な湯船が顔を見せた。
湯は、無色透明であった。
透き通った源泉が、静かに湯船に注がれ、音もなく湯船の外へ流れ去っていく。
ところが、その静けさとは反対に、湯の温度は熱かった。45,6度はあったかもしれない。
それでも、赤湯地域の源泉は60度ほどであるそうなので、何らかの形で温度を下げていることになる。
この温泉が加水されたものであったか否か、正直今でもわからない。しかし、加水するとすれば、人々が浸かりやすいようもっと温度を下げるはずだ。
この湯の絶妙な熱さに、加水をぎりぎりで踏みとどまった湯守の決断を感じずにはいられない。
湧出口の湯は触れないほど熱かったので、きっと湯量をコントロールすることで温度を調節しているのだろう。
内湯の他に、露天風呂もひとつあった。
十分にかけ湯をし、いざ入湯。
それは、湯というより、透明なエネルギーだった。
地中に堆積した想像を絶するほどの悠久な時間が、湯という形をとって凝集していた。
微粒子ひとつ入り込めないほどに、存在が充溢している。
その時初めて、もっとも充溢した空間は真空と一致するのだと理解した。
永遠の歓喜には、悲しみの入り込む余地が微塵もないのと同様に。
風呂場から出ると、足の裏に固い何かを感じた。
珪藻土マットだった。
よく見ると狭い脱衣場の半分以上は珪藻土マットが敷き詰められている。
おかげで、床が濡れていることに起因するあの不快感が一切なかった。
それだけではない。ドライヤーも、美容院で使われるような大きくて風力の強いものだった。
脱衣場ひとつとっても、この旅館の客への配慮が並々ならぬものであることがわかる。
ロビーに置いてあるふかふかの椅子に座り、しばし温泉の余韻に浸ったのち、我々は湯屋を後にした。
湯屋の前には、薄暗いコンクリートの道が伸びていた。
しかし、後ろを振り返ると、湯屋は確かに存在した。